今はもう廃刊となった誠文堂新光社「初歩のラジオ」、当時の電子工作少年には電波新聞社「ラジオの製作」と並ぶバイブルでした。私は小5ぐらいから高校に入るまで定期購読してましたが、この号に私の初作品が掲載されています。
当時はパソコンという名称もなくマイコンと呼ばれていました。ただどうしても高価で、少なく見ても子供のおもちゃ程度にしかならなかったマイコンを持っている家庭って無かったように思えます。(もちろん企業にさえ導入される以前の時代ですから・・・)
そんななか、店に並んでいるパソコンを触りながらゲームのプログラムを作って送りつけたら載ったというのがこの号でした。
当時のCPUはZ80で1MHzか2MHzぐらいのクロックだったかと。もちろんRAMなんてKBの世界です。プログラムはカセットテープに記憶。フロッピーはまだ高価でドライブ単体で当時の価格で40万(マイコン本体の2倍程度)していたと思います。
当時はゲーセンに行くと補導されてしまった時代でした。なんとかゲームを遊びたかったので、毎週土日は自転車で1時間程度かかる家電量販店まで通い、マイコンが置いてある場所で雑誌に掲載されているゲームを打ち込んだり、自分でプログラミングしたりしていました。市内で自由にマイコンを長時間さわらせてくれる店を探しまわったりしました。
掲載された作品ですが、確かスクロールゲームで下から上にアルファベットがランダムに障害物としてスクロールしてくるので、Aから順番に取っていく、順番が間違えばアウト、みたいなものだったかと思います。BASICでしたね。この頃は。当時中2でしたが、記事を書いて本に載ったという感激は今でも忘れませんね。このときもらった掲載料でポケコンを買ってこれまたゲームを作って遊んだ思い出があります。
でもこの後の受験と高校生活の合間にこの手の楽しみはだんだん遠ざかっていって、大学に入ると完全に飛んでしまいます。
作る楽しみから使う楽しみを覚え始めた頃だったのかなあ・・・と。今の時代はそれに完全に溺れてしまったんじゃないかと思います。
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