謝罪謝罪また謝罪

2008年2月8日金曜日

 

倖田來未がちょいと前にニュースを賑わせていたが、どうも腑に落ちない。発言自体は褒められるもんじゃないが、だからといってここまでバッシングされるのもどうかと思う。しかもあるニュース番組の取り上げ方は倖田來未の謝罪の様子を見た観衆について報じている。ん?謝罪したのを見ている人間がどんな反応するかをニュースにするんだ?? それって変じゃねぇの?こういったニュース番組がニュース番組でなくなって久しいと思う。マトモなのは(組織としては別だが番組としては)NHKぐらいで、ニュースステーションに至ってはニュースの皮を被ったワイドショーだ。とにかくヒステリックに叫ぶだけで、こっちの感情やら思考を根こそぎ持っててやる、みたいな悪意さえ感じてしまう。

これが下火になったと思ったら次は「あたご」だ。自衛隊の隠蔽体質とやらも非難されて当然だろうが、これも謝罪してお仕舞いなんだろうなと思うと、日本人ってのはまったく謝罪が好きなんだなと思わざる得ない。こういった事故の場合、謝罪はともかく二度と同じような事故が起きないようにしてほしいってのが本当のところじゃなかろうか。二度と同じ過ちは繰り返さないでほしい、でなければ犠牲になった人が浮かばれないじゃないか、とね。人の命を使ってなんらかの欠陥を表沙汰にしたんだから、それをただ隠したり謝ったりだけで終わらないでほしい。

今回も漁船発見が衝突の2分前だか12分前だかで揉めそうだが、なぜ事故を二度と起こさないように原因を追及することに目が向かないで、やれ隠蔽だやれ謝罪だというところにしか関心が行かないのは、誰も責任をとりたくないからだろうか。

謝罪会見といい辞任といい、謝ったり辞めたりすれば責任をとったとする考えってのが根強いと思う。これでは同じ過ちが続くわけだ。当事者が「責任」をとればそれで終わりなのだから。

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